走り屋編

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毎度!おいでやマスター澤井です。

前回の~高校偏~の続きです。

今回はちょっとマニアックな
話になるかも知れません。

わかる人だけ
見ておくんなはれ。

念願の免許が取れたんで
その日の夜に走り屋デビューする
ことを決めておりました。

売ってもらった車というのは
TE71です。

ホンマはAE86が欲しかったんですけどね。
当時のオイラには高すぎました。

その日も明石の免許センターから
直接バイトして閉店までお仕事。

深夜24時
澤井少年18才の秋の夜←10月生まれです。

いよいよ
走り屋デビューです。

そらぁテンションMAXですわ。

メンバーは店長と先輩がAE86
オイラがTE71の3台でした。

とりあえずガソリンを
2000円分だけ入れて
六甲山を目指しました。

一番へたくそなんで先輩たちに
必死になってついていきました。

仮免許の時にちょっとだけ
練習させてもらいましたが
そのときとはスピードが違いすぎます!

そらぁもうハンドルは、どっちゃむいとるか
わからんし、ヒールアンドトウなんか
でけへんからアクセル・ブレーキも
めちゃめちゃになりました。

いきなり下りでスピンするという
経験も初日にしました。

けど、18年の人生で一番
興奮したのを今でも覚えております。

その日からはガソリン代が
続く限り山に走りに行ってました。

そこからとんでもなくエスカレートする
ということも知らずに・・・。

高校生の分際で
マイカーを手に入れた
当時の澤井少年はそれはそれは
調子に乗っておりましたょ。

当時通っていた学校って、じつは
免許どころかバイトも禁止やったんです。

そんなことは全然気にしないアホな人やったんで
卒業する2月までマイカー通学をしておりました。

マイカー通勤やったらわかるけど
マイカー通学って・・・。

いちおバレたらまずいと言う事で
浜田省吾みたいなサングラスをかけ

当初流行っていたDCブランドの
メンズビギのお気に入りのジャンバーを着て
学校のすぐ裏に路上駐車しておりました。

高校も卒業に近づき
進路を決めなくてはいけない時期になりました。

2月です。

って、おいっ遅い!

っと、突っ込まれてしまいそうですが
事実でした。

その頃はホンマに走ることに
はまっていてそれ以外のことは
何も考えてませんでした。

そして走り屋って
めちゃめちゃお金が
かかります。

その人のはまり具合によって
まちまちなんですが、
オイラは重症の部類でした。

進路を決めなアカンけど
走るためのお金も欲しい
と思っていました。

そこで、またまた父親の登場です。

当時、父親は昼の仕事とは別に
夜になると車の屋台で
駅前にたこ焼きを売りに行ってました。

今より全然景気もええし
よく売れていましたよ。

そこに目をつけた澤井少年は
たこ焼き屋をやらせてくれとお願いし
そこからたこ焼き人生をスタートさることになります。

卒業前の進路相談では
浪人して予備校に通うことに
なっており

とりあえず通っていたんですが
稼いだお金を授業料に変えるより
ガソリン代に変えるほうを選択してしまい
2ヶ月くらいで予備校は辞めました。

そこからはもう
どんどん走りにのめりこんでいくばかりです。

毎晩たこ焼きを売りまくり
以前から欲しかった念願の
AE86をゲット!

昼間は行きつけの
チューニングショップに通い

夕方からはたこ焼きを焼いて

夜中は六甲山へという日々を
繰り返していました。

毎晩、山道だけで100キロ以上は
走りまわりガソリン代だけで
月に10万は軽く超えていました。

それにタイヤなんかも一週間ももてへんし
ブレーキパットなんかもすぐに交換してました。

1年以上そんな生活を続け腕もだいぶ上達し
ほとんど他の車に負けなしの状態になっていました

が、

19才になった秋の夜

あることがきっかけで
逮捕されてしまいました。

人生初、羽交い絞めされて
手錠というものをかけられ

有馬温泉の近くにある
有馬警察署に連行され
車も没収されてしまいました。

なんや聴取やら写真撮影やらいろいろと
朝までかかってめちゃだるかった
記憶があります。

その事件がきっかけで
走り屋を引退するこ
にしました。

なぜなら免許なくなったら
仕事できひんくなるから。

しかし

そっからもひとつ
エスカレートしてしまいました。

次は本格的な世界!いざサーキットへ

~サーキットデビュー偏へ~続く

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