幼少期偏

[`twib` not found]


オイラがどんな生い立ちでどんな人なのか
興味のある方は読んでくだされ。

1971年10月11日 
商売人の長男として大阪で生まれる。

別に転勤族の親でもないのに
なぜか阪神間を転々とし

記憶はさだかではありませんが
7~9回位引っ越したと思います。

幼稚園・小学校・中学校と
すべて1回ずつ転校することに

幼いころから引っ込み思案で
小学生の頃はみんなの前で
本を読むのが大の苦手でした。

けど、負けん気は人一倍強かったんで
勉強はクラスで1・2を争っていました。

4年生の夏休み前に小学校は転校したんですが
その時、自分に言い聞かせていた事がありました。

それは

新しい学校ではハキハキとじゃべり
引っ込み思案からは脱却するんだ
と強く心に決めておりました。

転校初日
いよいよ決戦当日

今でも忘れません。

心臓バクバクで担任の先生に連れられ
教室に入りました。

当然新しいクラスメートは
全員自分の事を注目しています。

まずは先生から簡単な紹介をしてもらい
いよいよ自分の番です。

9歳の少年ではありましたが
最初が肝心だということは
十分理解していました。

意を決して自己紹介しました。

『はじめまして・・・
・・・・・・・・・・
よろしくお願いします。』

何をしゃべったのかは
全く覚えてませんが
見事に作戦が成功しました!

みんなから拍手をもらい
すぐに打ち解けて
友達もいっぱいできました。

当時はそんなことは考えてなかったですが
初めてマインドセットを持ったのかな?
と思います。

大阪市内の大正区と言う所に住んでいたんですが
そこでは少年野球がめちゃ流行ってました。

あまりに人数が多すぎて1つの小学校に
2チームありました。

ホンマは2年生のころから続けていた
サッカーをしたかったんですが
サッカーチームはないので

別に好きと言うわけではなかったんですが
何となく野球チームに入りました。

『ニュー平尾』というなんか
ふざけた名前のチームです。

平日は16時ころから19時くらいまで
土曜は13時から
日曜は朝からと毎日・毎日野球でした。

その頃、太っていたし左利きなんで
ポジションはライトかファーストを
守っていました。

レギュラーではなかったんで
代打での出場が多かったんですが

野球チームに入って新しい友達も増え
それなりに楽しい日々を過ごしていました。

しかし5年生のクリスマスの夜
ある事件が起こりました。

10歳の自分と5歳の弟を残して
母親が家を出ました。

そのまま離婚ということになり
父親と弟と3人で暮らすことになりました。

その時に初めて母親の偉大さに
気づいたのを今でも覚えています。

朝起きたらご飯もあって
制服も用意されていて→大阪市内は公立小学校は制服です。
ストーブで靴下とかも温めてあってなどなどです。

当時、父親は商店街で果物屋さんを営んでいて
よく遊んでくれるし大好きでしたがめちゃめちゃ荒れてました。

毎晩飲みに行ってました。

当然、朝は自分で起きなくては
ならなくなりました。

そして何でも自分でしなければならない

それこそ、『できるか?できないか?』
じゃなく

『やらな生きていかれへん』と言う事を
学びました。

朝は店の小銭でパンを買いに行き
弟を幼稚園のバス乗り場まで送り
学校に行きました。

炊事・洗濯・掃除もむちゃくちゃでしたが
なんとかなってました。

結構几帳面やから制服とか
給食当番の服とかもちゃんと
アイロンがけしてましたよ。

商店街に住んでいたんで隣の
電気屋さんのお母ちゃんには
大変世話になりました。

そんなこんなで
なんとか小学校を卒業し
次は中学校へつづく

[`twib` not found]